2014年05月20日
都道府県の話(2)
1学期中間テスト対策もいよいよ大詰め

佐土原藩は、鹿児島(薩摩)と熊本(米良・人吉藩)と隣り合っていました

スタートダッシュを決めるぞ

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佐土原校で中2歴史の明治維新の授業の時に、
・・・「この時、佐土原は『佐土原県』になったとよね
」

同じく高鍋校でも中2歴史の明治維新の授業の時に、
・・・「この時、高鍋は『高鍋県』になったとよね
」

その時、塾生は、
「おおスゲー、まじ~~~
」

という反応ですが、すぐに
「でも、4か月でなくなりました・・・美々津県になりました
」

「ははは、よえ~~~
」

と、いう感じで進みます

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ウィキによりますと、
明治4年7月14日(1871年8月29日)14時、明治政府は在東京の知藩事を皇居に集めて廃藩置県を命じた。王政復古に次ぐ第2のクーデターであった。
そして、
当初は藩をそのまま県に置き換えたため現在の都道府県よりも細かく分かれており、3府302県あった。また飛地が多く、地域としてのまとまりも後の県と比べると弱かった。そこで明治4年(1871年)10~11月には3府72県に統合された。
そうです。
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慈友塾の所在地を江戸時代に戻すと、
佐土原校・・・佐土原藩
新富校・・・佐土原藩&鬼付女川以北は高鍋藩
高鍋校・・・高鍋藩
川南校・・・高鍋藩
都農校・・・高鍋藩
西都校・・・天領や米良領(人吉藩)も交じってごちゃごちゃな感じ
になります


